後期高齢者医療にみる福祉行政の歪み
2008年5月13日
はじめに
これは、2008年5月8日に朝日新聞の「声」欄に投稿した原稿です。
心遣い、配慮、気づき・・・
父母ともに八十歳を過ぎ、めっきり足腰が弱くなって杖を突きながら病院通いの日々です。視力も衰え、痴呆も出てきています。人によって程度の差こそあれ、この歳になれば致し方ないように思われます。
ゴールデンウィークに帰省した際のことです。数日前に父親が病院に行ったら後期高齢者医療の保険証が見あたらず、全額実費での清算を余儀なくされたとのこと。家に帰って探しても見つからず、どうも捨ててしまったのではないかということで市役所に行って何時間もかかって再交付してもらったとの愚痴を、母親から聞かされました。
そこでその名刺サイズの小さな保険証を見てみると、書かれている文字はあまりにも小さく、とても八十歳の老人が読めるものではありません。彼らにとってこの保険証は、色形でしかそれと認識できない代物です。これでは無くすのも当たり前ですし、病院の窓口で保険証をと言われても探し出すのが一苦労のはずです。
何かと制度としての問題点が指摘されている後期高齢者医療ですが、実施に至るまでに何千、何万もの職員の手を経てきた結果がこれでは、福祉に携わる人としての資質、組織としての疲弊、後期どころか末期的な福祉行政に憂えさせられました。